部内恋愛の悲しいところ
私は大学生の頃運動部に所属していた。
アスリートというのはいつの時代でも、それはそれは輝いている。
そして大学生というのは、苦しい受験勉強から解放されたばかりの、自由で多感な頃である。
だから少し格好いいと、本当によくもてる。
私もご多聞にもれず、部内に好きな人ができた。
当時の自分は、大学生というのは大人に一歩近づいた分、何でも自分の思い通りになると勘違いしていた。
きっとすぐに付き合えるだろうと何故か思っていた。
部活というのが、いかに閉ざされた狭い世界であるかを気づけなかった。
誰かが好きになる程の魅力のある人物が、その狭い空間でもてない訳がないのだ。
私が好きになった人は、私の友達も何人か好きになった人だった。
そしてそのうちの一人が彼と付き合うことになった。
それはもう電光石火のスピードで、いつのまにか物にされていた。
好きな人は自分の部活の仲間であるし、その彼女も部活の仲間であるし、気持ちの持って行き所に困るのが部内恋愛である。
私はそこであきらめたが、もう一人の友達はずっとあきらめられなかったようだ。
誰も知らない長い間、ずっと気持ちを心の奥に隠したまま、大学生活を送っていた。
そしていつの間にか、その彼はもう一人の友達のほうの彼になっていた。
その時の気持ちは形容しがたい。
驚いたし、裏切られたような気がしたし、そして悔しい気もした。
早々にあきらめたのだから、私には何も言う権利はないのは確かなのだが、それでも抜け駆けされたような、自分のものをとられたような気分になったものだ。
今思えば、その時初めて私は恋愛の実態を見たのである。
なかなかおはなしのように美しくは終わらない、後味の悪いものだということを学んだのだ。
今までのモテ期の記憶
人には三回もてる時期がやってくるという。
思い返してみると、私のはもう終わっているかもしれない。
それも、人生のごく早い時期において。
私が最高潮にもてたのは、幼稚園である。
もともと私が通っていたのは私立のちょっといい幼稚園。
みんなお洒落なベレー帽をかぶるのだ。
エンジのフェルトのやつ。
なんと言ったってそれが制服だから。
年中までそこに通い、年長で引っ越すことになった。
幼稚園も変わった。
うんと辺鄙な幼稚園になった。
素っ裸の園児たちが、狭いビニールプールにぎゅうぎゅうに詰め込まれて水遊びをするような野性味あふれる幼稚園だった。
そこでの私は、都会から来たお嬢様だった。
それはそうに違いない。
セミを手づかみでつかまえてはしゃぎまわっているようなワイルドな幼稚園児の中では、ベレー帽に慣れた子供はお嬢様に見えよう。
だから、私は何もしなくてももてたのである。
二回目のモテ期は、小学校六年生だ。
私は塾に通っていたので、頭がよかった。
まあそれも何もしない子に比べればの話ではある。
小学生というのは、「運動ができる」「頭がいい」のどちらかの要素がもてる基準になる。
男子の場合は前者が有力であったが、女子の場合は後者だけでも意外といけた。
今思うと、そんなものも大層な偏見である。
だからここでも、私はなにもしなくてももてた。
そして三回目。
これは私は知らない。
でも、友人の話によると確かに三回目があったというのだ。
「あの時もててたよね。」と言われる。
結構よく言われる。
しかし、言い寄られた記憶が全くない。
本当に、全くないのだ。
だからもし三回目が事実だとすると、そしてそれが知らないうちに過ぎてしまったのだとすると、私は俄かに不安になるのである。
私はもうもてないのではないか。
せめて記憶があれば、思い出して楽しめたものを。