重い人間

昼下がりはひと肌恋しい。
今でも、あの時の彼のことが記憶によみがえるのだ。
その記憶を消すたびに、昼下がりはもっぱら出会い系サイトに入り浸っている。

過去の話を掃き出すことで、少しは楽になるかもしれない。

あれはもう10年以上前の事。
少し重い人間だなと思う彼に出会った。

しばらく付き合った後、私の名前をタトゥーに刻み込むと言うのだ。
理解出来ない行動だった。

彼は電動歯ブラシ・縫い針・接着材・墨汁を購入。これでできるらしい。
ホテルに着くと早速準備が始まった。電動歯ブラシのヘッドを外し、そこに接着剤で縫い針を固定。
スイッチを入れたら針の先端に墨汁を付けて肌に刺していく。

私はボールペンで肌に直接下書きだけして、あとは見守っていた。
正直迷いも残っていたけど、見守るしかなかった。

完成した新しいタトゥーを見て彼はとても嬉しそうだった。その表情に、私の迷いが癒された。

2年後、結局彼とは別れた。就職活動を始めて社会や現実の厳しさを痛感し、経済面での人生設計を考えたときに、彼との将来は全く見えず徐々に気持ちが離れていった。

「正社員で働く気はないの?」と聞くと、決まって「ないな。年金とか社会保険とか、給料から色々控除されるのも嫌だし」って答える現実の見えていない彼に嫌気も差していた。

別れるとき、タトゥーはお金が貯まったら消すって言っていたけど、どうなったんだろうな。
やっぱり、私には背負いきれない重荷だった。

そして賢い人間が優遇される世の中なのである。

犬の方が人間よりも賢いか

犬というのは人間よりも賢いのではないかと思うときがしばしばある。
というのも、犬は人語を解するが、人間は犬語を解さないからである。

訓練の程度にもよるだろうが、「待て」だの「よし」だの、大抵の人間の言葉に犬は反応を示す。
最低の場合であっても、名前を呼ばれれば、ああ自分の名前を呼ばれているな位の感覚は持ち合わせているようだ。
ところが、人間に至っては、愛犬が何と言って自分を呼んでいるのかさえ判然としないから困る。
けたたましく吠えていても、お腹がすいたのか遊びたいのか、時間の前後関係で主に判断している現状だ。
そうすると、もし仮に犬が理解しているのが言葉としての人語ではなく、ただの音の信号としてのみだったとしても、残念ながらそれすら人間より上等であると言わざるを得ない。
それに、犬に限ったことではない。
昔から、子供向けの本でもあるではないか。
人間以外の動物が寄り集まって、人間の悪口を言う場面が。
他の動物は、人間をはじいたコミュニティーを持っているのではないか、そんな可能性を昔から人は持ち合わせていたのである。
随分前からこの事実に気がついていて、その上気づかない振りをして偉そうにしていたのである。
我が愛犬も、家族の中では馬鹿だのアホだのと言われているが、その実一番の賢者なのではないか。
それを我々は、さも自分のほうが賢い振りをして、「待て」「座れ」などと号令をかけているのである。
もしも人間が犬語を解するほど賢しくなったらば、彼らからどんな罵詈雑言を受けるだろうか、私は怖くて仕方がないのである。