一目惚れしやすい件について
私は大抵の場合一目惚れから入る。
だから友達から恋愛に発展するということはまずない。
なぜ一目惚れなのかは自分でも理由は分からないが、とにかく一瞬でときめいてしまう。
ただ、この一目惚れに関して、容姿がきっかけというわけではなさそうである。
というのも、好きになる相手が必ずしも二枚目だったわけではないからだ。
そして幾分、私の場合は打算的である。
人間は、性格が外見に現れる、と私は信じている。
だから、何となく気が弱そう、とか、やさしそう、とか、面白そうという感じが見て取れる。
私の場合が打算的、というのは、この人を逃したらもうこれ以上面白い人には出会えないはずだ、とか、これ以上気が楽な人はいないはずだ、という観点で人を選んでしまうからだ。
ただ、その結果が余りにもリスキーなのも事実。
私のこの直感は、部分的にしか当たらないのだ。
面白いと思った人は、確かに面白かったが気難しかった。
ちょっと気が弱そうだと思った人は、気が弱かったが理屈っぽかった。
確かに少し考えてみれば、一目惚れで人格がぴたりと当てられたらそれはエスパーだ。
だから、うまくいく可能性は合コン以上に低い。
それでも私はやはり毎回一目惚れをしてしまう。
そして大抵失敗するのだ。
もちろん、自分が思っていたような人ではなかった、という場合もある。
でもそれ以上に、初対面の相手を振り向かせるのは非常に困難なのである。
相手が同様に、自分に一目惚れしてくれる可能性は天文学的数字で低いのだ。
一目惚れを成就させるためには、乗り越えなくてはならない壁は厚い。
失恋したときのBGMの存在
人間が生きる上で、BGMの存在は大きく輝きを放っている。
映画にしてもそうだ。
あの映画は良かった、と思い出すときに真っ先に頭に浮かぶのは、その内容よりも音楽だったりする。
ファッションショーでも音楽が流されることが多いが、その音楽のチョイスによってコレクションのセンスが問われる。
それだけ音楽の持つ力は計り知れないのだが、困るのが耳にした途端その場面に引き戻されることだ。
ところ場所かまわず。
私が昔失恋したときも、音楽が流れていた。
この失恋が、まあ失恋というのは大抵の場合そうだろうが、とってもつらい思い出である。
まさかふられるなんて思ってもいない完璧な状況だったのだ。
絶対に相手も自分に好意があると確信していた。
どうやら自分だけがそう思っていたらしいと、今振り返ると少しくすっと笑ってしまうのだが、当時の私としては満を持して思いを伝えた。
そして驚きのごめんなさいだった。
そこに流れていた曲を耳にすると、今でもその時のことがまざまざと思い出される。
その場所は忘れもしないとある駅だったが、瞬時に記憶がその場所に戻ってしまうのだ。
暮れ近い季節で、身も心もうら寒い思い出だ。
やっかいなのはそれが名曲で、すたれることなく色々な場面で流されること。
テレビでも街中でもそれこそ本当に色々なところで耳にする。
だから私はこれからもずっと、失恋の思い出をひきずったまま生きていかないといけないのだ。
いつか乗り越えられる日が来るのだろうか。
早いところ、その私をふった相手よりも幸せになってしまいたいと、こすいことを考えている。