慣例

仕事でトラブルが続いている今月。
新しい案件が舞い込み、歯車が噛み合い円滑に回り出す前触れだと思い、気張っている毎日だ。
20代後半になり、責任が重くなっているのを感じて少しビクビクしている自分がいる。

最終的な判断を上司に仰ぐ立場だったのに、いつのまにか「決めてください」と裁量を任せられる立場に。
自分のやりたいことを実現できるようになる分、この判断で良いのか?私が決めていいのか?と迷いながらのGOサイン。
きっと誰もが通る道で、諸先輩方も同じようなときがあったに違いない。

「ビクビク感」はいつか消え、自信・信念を持って最終判断を下せるときがくるように、今は頑張るしかないのだ。
ただ、そんなビクビク感を持ったまま仕事をしていると、私が最終的な判断を下すことに否定的な人がいることに気がついた。
打ち合わせのときに目を合わさず、否定的な意見ばかり。

建設的なことを言わないので代替案を出してもうやむやにされる。
一番今ぶち当たっているのが、「そういう慣例だから」と言われること。
慣例に従うことが大事だと私もいつか気がつくときが来るかもしれないが、20代後半の血気盛んな燃えている私には邪魔な「慣例」とやらは、いつ誰が決めたのだろう。

きっと、なんとなく流れでそうなっている「だけ」のことなのに、従ってきたからいつのまにか本流となってしまっている。
その慣例とやらに従うと、どうも変になってしまうのに、それで良いんですと片付けられて会話が終了してしまう。

どんな業界にいても、それぞれの業種でなんとなく存在している「慣例」。
きっと自分と同じような壁にぶち当たっている同年代がいると思うと、一緒に壊そう!と勝手な連帯感を感じるのだった。